酔っ払いの戯言

そろそろ保健所も終わり。フィードバックも兼ね、現在新型インフルエンザ対策で奔走していてなかなか会えなかった所長と、ゆっくり話す期会があった。ここは保健所の所長・課長ともに女医さん。とくに所長は、本庁勤務歴もある(私には良く分からないが、お役所的には結構すごいことなんだそうだ)生粋の公衆衛生畑の人である。二人とも女医として長く仕事をしてきた大先輩に当たるわけで、先生方の本音の所も伺うことが出来て、とても嬉しかった。
実は所長は、父の大学の先輩にあたる。今よりもっと女医が少なかった時代、そして今でも第一線で働いている所長にも、沢山の悩みがあった。同期が臨床のそれぞれの専門分野で地位を確立していくことへの焦り、臨床と違いあまりにマクロなものを対象とするため、目に見えて「これが専門」と言えない不安、「役所」という場所の中に歴然と存在する、「地方」と「本庁」の身分の違い、そして、仕事と家庭どちらを取るかと迫られた選択…。家庭を取るという選択をしつつ、それでも市民のため、人脈や経験をフルに活用し、現在も生き生きと働いている彼女は、素敵だと思った。
正直にいって、医者の中には「臨床こそ全て、QOLは低くて当たり前。QOLのいい科や保健所、基礎は医者に非ず!」という医師が少なくない。(特に、多忙を極める科の先生に多く見受けられる気がする。もちろん、全てではないけれど。)保健所の先生は、なにかと各病院の医師と連絡を取ったりすることがある。中には上記のような態度をあからさまにする人もあったろう。「保健所?楽でいいねぇ」と。


でも、QOLが保たれているということと、楽でいい加減な、誰でも出来る仕事であるということは、全く違う。


実は私も、保健所のことを「楽なOL生活」なんて思っていた。もちろん、食中毒や新興感染症さえなければ、臨床ではありえない「9時5時生活」が実現する。だが、その業務内容は多岐に渡り、保健所を馬鹿にするような医師には到底やれといっても不可能だろう。(もちろん中には出来る人もいるだろうけど)内科の医師が分娩介助を出来ないように、外科の医師が統合失調症の治療を出来ないように、行政という他にはない特殊な治療を保健所の医師は業務としているのだ。

「私のような歳になっても、仕事への情熱さえあれば出来るのは公衆衛生の医師のいい所よ。いつでも、遠慮せずに連絡くださいね。」
父より2歳年上の、そのチャーミングな女医は笑顔でこう言ってくれた。
「辛いことも多いけど、色々な生き方が出来ることこそ、医師という仕事の素晴らしいところ。是非、続けてくださいね。公衆衛生に来てくれたら、もっと嬉しいけれど」
いわゆる普通の医者のイメージとはかけ離れているため、希望者も少ない保健所の医師。たった一ヶ月という短い期間だったけれど、かなり貴重な体験だった。私は臨床で興味のある科があったし、若い時でないと臨床能力を身につけるのは大変だから、まずは臨床での研修は大事だとは思う。でも、興味深い分野の一つとして、自分が生きていく上での、消去法ではない「積極的な」選択枝の一つとしても、可能性が増えた気がする。